【死去】立川左談次の芸風は!?がん闘病中もtwitterにて経過報告!?

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こんにちは、ショコラです。

今回は、立川左談次さんを取り上げます。

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落語家で落語立川流所属の立川左談次さんが、昨日3月19日に食道がんで死去していたことがわかりました。

17歳で落語界に入り、50年もの長きにわたり第一線で活躍してきた立川左談次さん。

江戸っ子然とした口調で語られる落語に多くのファンが魅了されたことでしょう。

そんな立川左談次さんについて、調べました。

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『立川左談次プロフィールと芸風』

立川左談次(たてかわ さだんじ)さんは、1950年12月2日に東京都調布市で産まれます。

本名は、「山岡通之(やまおか みちゆき)」と言い、1968年4月に7代目(自称5代目)立川談志さんに入門。

当時は落語協会に所属し、「立川談奈」を名乗ります。

ちなみに、師匠の立川談志さんが、なぜ7代目なのに5代目を自称していたかというと、以下の通りです。

・4代目立川談志さんが明治期に多大な人気を誇っており、自身を初代と称していました。

・6代目立川談志さんがそれに倣い、4代目を自称。

・先代の6代目が4代目を呼称していたので、7代目立川談志さんは5代目を自称します。

・さらに、師事していた5代目柳家小さんとの代数も合うため、自称5代目としたようです。

話を、立川左談次さんに戻します。

1973年9月に二ツ目に昇進し、この時「立川左談次」に改名します。

この「二ツ目」とは、簡単に言うと落語家の頂点「真打」の一つ前の階級。

寄席の番組で二番目に高座に上がる為、こう呼ばれています。

二ツ目に昇進すると、雑用業務がなくなり、着物も紋付羽織と袴も着用できるようになります。

雑務がなくなって落語家として成立してくる傍ら、自身で仕事を取らなければならず、ライバルとの差が開くのもこの時期であると言われています。

二ツ目を10年経験すると、いよいよ真打へと昇進します。

立川左談次さんも1982年に真打昇進を果たします。

翌1983年には師匠にあたる7代目立川談志さんが落語協会を脱退し家元となって「落語立川流」を創設。

立川左談次さんも所属替えをします。

江戸っ子然としたキレのある口調が芸風の立川左談次さんの落語は正統な江戸落語として多くの人に親しまれていました。

また、「読書日記」というネタを持っており、高座で本を読みながらその内容にツッコミを入れるという読書家らしい一面も見せます。

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『がん闘病生活は!?twitterにも積極的!?』

立川左談次さんが食道がんを公表したのは、2016年8月で、自身のtwitterからでした。

立川左談次さんは2013年6月からtwitterを開設しており、積極的にツイートを投稿し、活用していました。

消化器系を痛めて入院という「がん」であることを隠したツイートを2016年8月4日に投稿していますが、20日後の8月24日には、自身の病状が食道がんであることを明かしています。

 

 

なんとも立川左談次さんらしいtwitterですね。

以降も、がん治療を受けながら高座に上がり続けますが、2018年3月19日21時20分に食道がんで死去します。

2018年3月20日配信の「スポーツ報知」では、以下のように報じています。

 

落語家の立川左談次さんが19日午後9時20分に食道がんのため亡くなった。67歳だった。20日、所属事務所の談志役場が発表した。

(中略)

2016年に食道がんであることを公表。

治療を受けながら高座に上がっていた。

ツイッターを頻繁に更新していたが5日のツイートが最後になっていた。

「今日は体調最悪。安静にしなくちゃ、だけど「九蔵」問題が気になって寝てられ無い、情報にも疎いしね誰か教えて~、簡略に頼むよ~。噂で結構、嘘でもサゲが効いてりゃ大満足だ(笑)。」

通夜は25日午後6時から、告別式は26日午前11時からいずれも東京都荒川区町屋1の23の4 町屋斎場にて。

 

正統派江戸落語の第一人者として闘病中も高座に上がり続け、twitterでもファンを心配させまいとする気位が見て取れるだけに、今回の訃報に悲嘆を隠し得ません。

立川左談次さんのご冥福をお祈り申し上げます。

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