こんにちは、ショコラです。
今回は、相川亮二さんを取り上げます。
読売ジャイアンツの相川亮二捕手が、今季限りでの現役引退を表明しました。
以下は、2017年10月3日の「読売新聞」で取り上げられた記事です。
巨人の相川亮二捕手(41)が3日、今季限りでの現役引退を表明した。
23年間の選手生活を振り返り、「気持ちも体も目いっぱいでやってきて、追いつかなくなった」と語った。
1995年に横浜(現DeNA)へ入団。
フリーエージェント権を行使して2009年にヤクルト、15年に巨人へ移籍した。
記者会見した相川は「(将来は)選手を成長させられるような指導者になりたい」と話した。
そんな相川亮二さんについて、調べました。
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『筋肉自慢の巨人・相川引退!!』
相川亮二(あいかわ りょうじ)さんは、1976年7月11日生まれの現在41歳。
千葉県市川市出身で、5歳の頃から野球を始め、小学2年生の時に地元市川市のリトルリーグで活動します。
中学時代までは投手、高校入学後に外野手を経験し、高校2年生の頃に捕手へ転向します。
1994年のドラフト会議において、横浜ベイスターズから5位指名を受け入団。
まずは、捕手経験の浅さを補うべく、育成担当コーチの指導にひたすらついていく日々を過ごします。
2年目の1996年に教育リーグにおいて首位打者となり打撃センスが磨かれます。
1999年8月21日、入団5年目となるタイミングとなる対ヤクルト戦において、一軍公式戦初出場を果たし、9月3日の対阪神戦で初安打を放ちます。
翌2000年から徐々に頭角を現し、スタメン入りの機会も増えてきます。
2004年には、アテネオリンピック野球日本代表に選出され、銅メダルを獲得。
2005年に自己最多となる144試合出場を果たし、チームも4年ぶりのAクラスに入り、チーム防御率リーグ2位へと貢献します。
2006年、第1回WBC日本代表に選出され、横浜の選手会長も務めることになります。
2007年はプロ13目にしてオールスターゲーム初出場を果たし、初めて打率3割台を記録します。
2008年に故障の影響でチーム成績低迷を阻止できず、出場試合数も伸びませんでしたが、海外FA権を行使し、メジャー挑戦を目指します。
その後、2009年1月16日に東京ヤクルトスワローズへの入団が内定し、オールスターゲーム、クライマックスシリーズにも出場を果たします。
2012年にチームのキャプテンに就任し、第3回WBC日本代表選手28人に選ばれ活躍します。
2014年のシーズン終了後、フリーエージェント宣言をし、巨人移籍を決意します。
2度目のFA移籍は捕手としては史上初の事で、穴埋めとして奥村展征内野手が巨人からヤクルトへ移籍しました。
2015年に高橋由伸さんが引退するとチーム最年長となりました。
そして、2017年10月2日、今季をもって引退することがわかりました。
横浜、ヤクルト、巨人と、さらに五輪やWBCでも活躍してきた相川亮二さんですが、かなり筋肉質な体躯をお持ちの様です。
捕手としてだけでなく、強打者としても名を知られる相川さん。
横浜時代、2007年に記録した打率.302は横浜の球団歴代捕手の中での最高打率です。
それも鍛え上げられた筋肉がなせる業でしょう。
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『弟は俳優?結婚か独身か?』
相川亮二さんのプライベートにも迫ってみましょう。
相川さんには、5歳年下の弟がいます。
名前は、相川寿里(あいかわ じゅり)といい、「寿里」という芸名でファッションモデルや俳優として活動しています。
出演作品で目立った役柄は多く無いものの、ミュージカル舞台「テニスの王子様」における亜久津仁役といえばピンとくる方も多いのではないでしょうか。
5つも離れていると、兄弟とは言えあまり似ないのかもしれませんね。
そして、相川亮二さんの結婚についてですが、一時期、タレントの松中みなみさんとの間に熱愛関係があるのではと噂されました。
しかし、これは松中さんの趣味である野球観戦と、自身のブログで相川亮二さんの名前を出したことで読者が早合点したと思われます。
結局のところ、相川さんは今でも独身であり、結婚相手はおろか、浮いた話も出ていません。
本日行われたヤクルト対巨人。
現役最終打席を遊撃への内野安打で締めくくった相川亮二さん。
神宮球場は相川コールに包まれました。
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