【約1年ぶり】頸椎症性脊髄症から復帰、北島三郎の自宅と馬について

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こんにちは、ショコラです。

今回は、北島三郎さんを取り上げます。

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言わずと知れた演歌界の大御所・北島三郎さん。

去年2016年9月に頸椎症性脊髄症の為に手術を受け、リハビリに努めてきました。

そして1年ぶりとなる音楽番組への生出演を果たし、復帰をアピールします。

そんな北島三郎さんについて調べました。

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『北海道出身で今の自宅は?』

出生名は大野穣(おおのみのる)

1936年10月4日生まれ(現在80歳)

出身は北海道上磯郡知内村(現在の知内町)

北島さんの歌手への第一歩は、「NHKのど自慢」でした。

高校在学中に函館で開催された同番組へ出場しますが、当時結果は鐘2つでした。

しかし、司会の宮田輝さんから歌声を褒められ、そこから歌手を志すようになります。

1954年に17歳で高校を中退し東京声専音楽学校に入学するも、歌謡曲志向が強く、渋谷を中心に流しの仕事をしながらデビューを目指します。

この頃、当時下宿していたアパートの大家の娘であった雅子さんと結婚し、1959年11月30日に式を挙げます。

1960年、当時3曲100円で流しの収入としていた北島さんに1,000円出した客がいました。

北島さんは翌日その客から新橋の喫茶店に呼び出され、作曲家の船村徹さんと引き合わせます。

この羽振りの良い客が、実はレコード会社「日本コロムビア」の芸能部長で、北島さんはこれを機に船村さんの下でレッスンを受けることになります。

1962年、村田英雄さんの「王将」ヒット記念パーティーで歌手として初舞台を踏みます。

この時「北海道(北の島)生まれの三郎」という由来から、北島三郎と命名され、デビューが決定します。

当時既婚者であった北島さんですが、「既婚の新人歌手」が当時あり得なかったため、プロフィール上は独身となっていました。

同年6月5日にリリースしたデビュー曲「ブンガチャ節」は不発に終わりましたが、8月20日に発売となったセカンドシングル「なみだ船」が大ヒットし、出世作となります。

1963年、日本クラウンへ移籍。

この年に長男が誕生し、妻子の存在を公表します。

北島さんの人気が不動のものとなったのは1965年、「兄弟仁義」、「帰ろうかな」、「函館の女」をリリースし、3曲とも大ヒットを記録。

人気演歌歌手の地位を確立しました。

1972年には独立し「北島音楽事務所」を設立。

1978年の「与作」も大ヒットを打ち出します。

しかし、1986年12月に広域暴力団稲川会の新年会に出席していたことが公になり、既に出場が決まっていた「第37回NHK紅白歌合戦」を辞退します。

初出場から勇退までの半世紀で不出場となったのは後にも先にもこの年だけです。

元号が「昭和」から「平成」に変わってからも、新曲リリース、作詞・作曲、公演、メディア出演等精力的な活動と記録を残してきます。

2013年の「第64回NHK紅白歌合戦」において史上初となる50回出場を達成し、勇退を宣言します。

最後のステージでは紅白両軍の正規トリの後にステージが用意され、史上最多13回目のトリで「まつり」を披露し、半世紀にわたる紅白出演に幕を下ろしました。

 

北島さんは2003年11月29日に八王子観光大使に委嘱されます。

というのも、北島さんは東京都八王子市に34年間住んでおり、自身も第2の故郷と公言しております。

数々の輝かしい功績を作ってきた北島さんの自宅はさぞ豪華絢爛な豪邸でしょう。

その部屋数は36部屋。

これは名前の三郎にちなんで設計されたそうです。

さらに、八王子駅前の高層マンションも自宅であるというではありませんか。

演歌界の成功者はスケールが違います。

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『馬主として』

大邸宅だけでなく、競走馬も所有している北島三郎さん。

実は1968年に既に馬主としても活動していたのです。

では、馬主としてどのような功績があるのでしょうか。

例えば2015年10月25日開催の「第76回菊花賞」において、5番人気であった北島さんのキタサンブラックは優勝を飾っています。

しかし、総合的に見た成績は決して良いとは言えない模様。

この優勝も馬主47年目にしてのG1初勝利であり、これまでに所有した174頭に約10億円近くも費やしていたのです。

その47年間の獲得賞金が約21億円なので、馬主として決して順風満帆ではなかったでしょう。

しかし、ここである仕掛けが浮上します。

2015年10月30日配信の「Business Journal」では以下のように説明しています。

 

その謎を解くカギは、キタサンブラックの所有名義が「北島三郎」ではなく芸能事務所の「大野商事」であることに隠されているようだ。

「北島さんは当初、自分の名義で馬主を持っていた。

それが思った以上に赤字が膨らんだので、名義を自分の事務所に替えたようです。

芸能活動の売り上げで馬が買えれば税金対策にもなります。

そうでなければなかなか続けられません。

芸能関係者で馬主は何人もいますが、1頭につき1カ月約70万円も経費がかかります。

北島さんのような方法でなければ、多くの馬を長く所有し続けることはできないでしょう」(某馬主)

確かに歌手の和田アキ子氏、作詞家の秋元康氏、タレントの志村けん氏など、そうそうたる芸能人が競走馬を所有していたが、北島三郎氏以外は目に見えた活躍がない。

さすがに芸能界の大御所は世渡り上手といったところか。

 

2016年8月6日放送のNHK「思い出のメロディー」以来、約1年1ヵ月ぶりとなるテレビ出演を果たした北島三郎さん。

今後も復帰の勢いをそのままに、弟子たちと共に更なる活躍を期待します。

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